憲法を考えてよ!

首相の靖国神社公式参拝を巡って、憲法論議が盛り上がることが予想されます。戦後現行憲法が制定されて以来、「護憲=平和」「改憲=反動、好戦」という図式が出来上がったことは、日本にとって不幸でした。憲法改正を口にしただけで、何人もの大臣がその椅子を棒に振りました。
戦後、日本と同じ境遇におかれた西ドイツでは、54年間に47回も憲法を改正しています。時代の変化に目を向けず、半世紀以上も一つの憲法を頑強に守り通しているのは地球上で日本だけではないかと思います。

私が学んだアメリカの大学の憲法学=コンスティテューショナルローの主題は、憲法のどこが時代に合わなくなっているか、どこをどう改めるべきかでした。それに対して、日本の憲法学は、改正のことは全く念頭になく、字句の解釈に終始しています。

小泉首相の靖国参拝も、一部の人たちは、例によって憲法違反と騒いでいます。問題は、憲法違反かどうかではなく、首相の公式参拝が望ましいかどうかです。私は公式参拝でも憲法違反とは考えていませんが、もし望ましいにもかかわらず、憲法に違反しているとすれば、憲法改正の議論をするべきです。

戦後五十数年の日本の平和は、憲法を守ったからもたらされたものであるという一部の勢力の宣伝に、われわれは惑わされ過ぎました。現行憲法は「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」といいますが、世界各地で紛争と武力衝突が絶えず、日本周辺の海域に限っても、不審船が常に出没している時代に、「公正と信義」で平和が維持できると信じているのは世界中でごくおめでたい日本人の一部に限られます。また、諸国民の公正と信義を信頼するだけで、「国際社会において名誉ある地位を占める」ことが出来ると考えている人も一部の日本人を除いてはいません。

改憲に反対する人たちは、多くが天皇制に反対しています。憲法には天皇制の護持がうたわれています。彼らの主張はスタートから自己矛盾をはらんでいるといえるのです。憲法八九条には「私学に助成をしてはならない」と書かれています。現在国は、私学に高額の補助をしています。自衛隊は軍隊ではないという主張は、現代の国際社会には通用しません。「国民は迅速な裁判を受ける権利がある」とされていますが、迅速な裁判も、現場では必ずしもその通りにはなっていません。

時代の流れに適応できない部分はまだまだあります。「快適な環境の中で生活する権利とそのために果たすべき国民の義務」を明記した条文が現行憲法にはありません。「知る権利」に付いても触れられていないのです。
政党や政党の派閥に縛られて、首相の考える政策が遂行できない状態に陥っている現在の議院内閣制を、一定数の国会議員の推薦などを条件にして首相公選制に改めるべきだとの機運が盛り上がっていますが、あまりに高い憲法改正の障壁のために、実現は難しい状況です。

遅蒔きながら、国に憲法調査会が発足し、新聞も「憲法改正私案」を発表し、時代に合わせて憲法も改正すべきであると考える国民が、半数を超えるようになったことは嬉しいことです。

憲法があって国家があるのではありません。国家があって憲法があるのです。日本の弱体化を意図して占領軍に押し付けられた現在の憲法の呪縛から一日も早く脱出すべきであると、私は、考えています。

この夏、皆さんも憲法について改めて考えてください。

 


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